FPSの日常

ゆるい日常生活を書いてます。

天才俺凡才

最近巷で話題になっている本がある。

石原慎太郎が書いた田中角栄を書いた幻冬舎出版の本。

タイトルは天才だ。

本屋に立ち寄り見てみると既に45万部売れているらしい。

少しさわりだけ読んだ。

田中角栄の事は今更説明するまでもないが、田中角栄関連の本は本当に多い。

私も何冊も角栄関連の本を読んだが生前の事が伝説化されているなと感じる。

確かに凄い政治家だった事は間違いないけどね。

ただこれだけ伝説化して礼賛されているのも角栄が没してから時間が経過しているからだろう。

田中角栄の晩年はロッキード以降は特に世間の批評は最悪だったではないか。

まぁ金権政治やら何やらでもし現代に田中角栄が存命していて政治家だったら当時以上に抹殺されていると思う。

田中角栄を再度礼賛する今の日本人をみると改めて日本人は矛盾の中でしか生きていないと感じる。

そして矛盾に気づかない、または気づいても行動しない情けない民族だなとも感じる。

特に田中角栄礼賛という事について言わせてもらうと、彼ほど政治とカネという言葉が当てはまるイメージの政治家はいない。

現代の政治では絶対タブー視されている政治手法だ。

もし現代に田中角栄が存命していて政治家ならば確実に抹殺されているだろう。
長いものに巻かれるバカなマスコミも、それに踊らされるバカな日本人も連日トップニュースでごぞって批判しているはずだ。

私は田中角栄批判でも礼賛でもない。間違いなく言えるのは高度経済成長の当時の日本には田中角栄という政治家は必要であり、今日の日本を作ったという事実だけだ。

結局何が言いたいかというと、著名人の評価というのは死後時間が経過し歴史を積み重ねて初めて本当の評価が下されるという事だ。

特に生前、時代を牽引したり歴史を変える革命を起こすような人間は日本という国では確実に妬みや僻みで足を引っ張られ国家ぐるみで抹殺しようとするある意味共産国家より恐ろしく自由がないと感じる。

だから私は日本は自由国家でもなければ真の資本主義でもない。民度も含めてまだまだ本当は後進国から抜け出せてない。
見た目だけ先進国の皮を被ったのが日本だ。

そして時代が変わってあるいは歴史を変えた人物が没してから初めて気づく。

なぜか。

日本人は事実をそのまま受け止めて精査したり想像力を働かせて深く物事を考え現状または未来を見据えた発想力が乏しい。

真っ先に批判したりデモをしたりして暴れている人間を見ると民度の低さを露呈している。

もちろん批判やデモは民主主義として間違いではないが、一歩見極めを間違えると方向性がずれたものになる。

例えば60年代70年代の学生運動安保闘争なんかは現代人から見れば、或いは当時参加していた人から見ればあれは何だったんだろうって思う人も少なからずいるはずだ。

昨日、本を読んで感じたのは自由な発想や革命に憧れているのに、それを実行に移す人を抹殺する日本という国を憂いた事と、存命ではなく死後でしか浮かばれない悲しさを感じたのは私だけだろうか。

日本に真の自由と発想力や行き方の選択の自由を‼︎